K-methodを受けた患者さまの声

東京都渋谷区 株式会社ゼロン
代表取締役社長 城山光秀 様

『人と人とのつながりに感謝』

「首」の調子が何かおかしいと感じ出したのはかれこれ8年前。
丁度事業を神戸から東京に進出してきた頃でも有り、新幹線や飛行機など移動も多く、そのせいで首や肩がこって仕方なかった。
マッサージに整体に整骨院にカイロプラクティックにと色んなところに行ってみたが、効果はその時だけ。 どうもしっくり来ないので病院に行ってみた。
整形外科でレントゲンを取ってみたが「別に異常は見当たりませんね」、「運動をして首を鍛えるようにしたほうが良いですよ」との事。

変わらぬ状態といつもの生活を送りながら数年。
しかしどうしても、首の状態がおかしい。 一昨年春に改めて同じ病院に行ってみた。
神戸でも指折りの設備が整った、整形でも評判の名医と言われている先生に再度挑戦。
レントゲンの結果は前回と同じで、診察で言われることも同じ。
しかしながら、どうも具合が悪いと言うか、どんどん何か悪くなっているような気がする。

その年の秋に東京で大学病院を紹介してもらい行ってみた。 レントゲン見ながら医者の言うことは他の病院と一緒。
半分あきらめ加減で(仕方ないのかな)と思っていた。
そしてまたマッサージや整体に通う日々。
それでも首の状態は思わしくない。どんどんひどくなっている。
その上、おかしいのは首だけではなくなってきた。

左の腰から足にかけて痺れる。(坐骨神経痛だと思っていた)
右足の親指のつま先に慢性的に疼痛と痺れがあり、平坦な道でも歩いていると躓く。(親指の付け根なら痛風だろうけど)
右腕の肘から指先までが痺れる。 (その日によって小指だったり、親指だったり、中指だったりする) 右肩の肩甲骨周辺が痺れる。(寝ていても座っていても痺れが取れない) 右耳の後ろから首、肩にかけて強い凝りと張りを感じ、握力が落ちてきた。
パソコン打つのもペンを持つのも大変になってきた。
(なんか まずいぞ・・・)

翌年の2月、主治医の小さなクリニックの院長に相談してみると、
「じゃ、MRとCTを撮影してみましょう」
指示通りにMRを撮ってみたが以前と同じような内容で、大きな異常はないとの事。
数日明けてCTを撮ってみた。 数日後結果を聞きに行くといきなり
「これはまずい、城山さんこれはちょっと厄介ですよ」
CTの画像を見ながら院長の口から出た言葉を聞いて、にわかに信じがたいと言うか、唖然とし言葉が出てこなかった。
院長の口から出た病名を聞いても何のことだかさっぱり分からず、CTの診断書を見てもすぐには読めない。
画数多すぎて漢字を書けといわれても多分一発で書けないと思う。
結果は「頚椎後縦靭帯骨化症」 国が指定する「難病」だと言う。
早速ネット検索してみた。
確認してみると症状はその通りで、CT画像にもくっきり出ており疑う余地も無い。何故厄介なのか。
詳しいことは省きますが、要は神経を保護する役割の靭帯が骨に変化してしまっていることで柔軟性をなくして神経を圧迫している状態で、衝撃によって折れて神経を傷つける恐れがあるということ。

様々な思いが去来するが、どうしたら良いのかわからない。
大きな病院を紹介してもらい、予約したその日にその大病院に行ってみた。 東京でも有名な大病院。
不安で一杯の患者側の話に耳を傾けることも無く外科部長は、

「あぁ、これね。 症状はどう? 状況見て手術だね。 とりあえず経過見ましょう。 次3ヵ月後ね。」 診察は5分と経たずに終了。
取り敢えず車はだめ、パソコンだめ、出歩くのもだめ、転んでもだめ、家で安静にする事と指示されたのみ。
不信感を抱いたまま家路に着く。

そして自重しながら3ヵ月後の診察日。
その間、生活は自重していても症状は一層進んでおり、右手に力が入らなくなりパソコンも打てず、ペンを持つのも億劫な状態で、腕や肩、足は慢性的に痺れており、寝ているのも座っているのも大変な状態になってきた。
他の人からは分からない、目に見えない痛みや痺れだけに誰彼に言っても仕方なく、自分自身の中でイライラが募る日が続いていた。

2回目の診察日、もう手術しかないと宣告された。
医師曰く、手術は大変難しい手術で、手術時間は5時間から場合によっては8時間くらいで、頚部を15センチくらい切開し、大量の出血を伴います。靭帯の骨化している部分を削りますが、神経と癒着していますので万が一の時には半身不随になるケースもあります。手術後1週間は寝たきりで、入院は1ヶ月から長ければ3ヶ月。退院後も安静にしながらリハビリを行っていきます。 仕事に戻れるのは、早くても3ヶ月後、それ以上かかるかもしれませんね。
と言う事で、この日も5分くらい。
都合10分しか会っていない不信感を感じている医者に、半身不随になるかもしれないような難しくて大事な手術を任せてもいいのだろうか・・・。どう考えても任せる気にならない。
じゃあ、どうすればいいんだろう・・・ 。
他の医者を探すのか・・・。
聞いた事も無い病気で、今まで何件も病院に行っても発見すら出来なかった病気。 どうやって病院をあたればいいのだろう・・・。
と途方にくれながら、今後のことに思いをめぐらす。

そんな或る日ふと思い出した。
頚椎ヘルニアで苦しんでいる友人のことを。連絡を取り見舞いも兼ねて会社を尋ねた。
そして私の運命は大きく変わった。

彼は医者に何件もかかりながら、極力手術はせずにリハビリやトレーニングで回復に向けて頑張っている。根治治療にはならないが経過はそれなりに良いみたいで、笑顔も戻り元気になっていた。

私自身も首の調子が悪いと告げると知人は自分が知った色んな情報を教えてくれた。その情報を聞いていてびっくりするような情報もあり、どうやって調べたのか聞いてみると会社の者1名を専従にして、ネットで頚椎や脊髄の医師や病院についてあらゆることを調べたそうだ。そして「大津市民病院 脳神経外科医 木原先生」に行き着いたそうだ。

でも私の場合はヘルニアではなく「骨化症」で、手術の必要があるらしいと告げる、友人は同じ病気で手術した人を知っているから、話し聞きに行こうと言ってくれた。その人が手術してもらった先生が木原先生で頚椎・脊髄に関しては日本一の権威で、すごい有名な名医であること。
木原先生にしか出来ない素晴らしい手術方法があるとの事で、その話を聞いただけで勇気が湧いてきた。
そして早速に同じ病気で木原先生に施術してもらった、その社長にアポが取れ訪問した。先方の社長も心よく迎えてくれ、骨化症だと分かると一日も早く先生の診察を受けたほうが良いと言われた。そして言われたのが木原先生の卓抜した手術方法。
「大体は頚椎の3番から6番の4つを中心に施術するわけですが、傷口は3センチだし、筋肉を切らずに出血の少ない「低侵襲術」で、手術の翌日には歩けるし、一ヶ月で仕事に戻れる。そんな手術してくれるところはどこにも無い。私がやったんだから。」 と言って傷口を見せてくれた。

診察当日、待合室で待っていると、呼ばれて診察室に入る人たちが数組続いた。診察室に入っていく元患者(?)は一様に笑顔で、中からは絶えず笑い声が聞こえる。

順番が来て診察室に入った。扉を開けて入って始めて見た木原先生の印象と言えば、年の頃は50手前位の満面に笑みを湛えた柔和な顔の医師。その笑顔の奥に自信が感じられる。

しばし雑談の後、おもむろに先生が言った。
「どうしますか? どうせやらないといけない状況ですね。やるなら早いほうが良いですね。後はあなたの決断とベッドの空き次第です。スケジュールは改めて連絡します。どんな手術をするか聞いていますか?まぁHP見といてください。」
と言う事であっさりと、早やかに手術する事が決まった。

あの東京の病院の重々しい雰囲気と打って変わって、軽やかな雰囲気の中で半身不随になるかどうかの手術が決まったのである。そして私は待合で待っている間と、診察室に入り一目見た瞬間にその先生への信頼は湧き、全幅の信頼で任せることが出来ると確信した。

HPを見ると手術時間は通常1.5~2時間程度で、切開は3センチ程度で出血の少ない輸血の要らない「低侵襲手術」との事。
手術後、翌日には歩行可能で、検査後の診察でOKが出れば退院日決定。後は「退院後の注意」を守りながらリハビリ等など。

医師の考え方や手法によってここまで違う。
東京の病院で話を聞いて「絶望の淵」に立った時に比べると、身も心もすっきりして一日も早く手術を受けて、楽になろうという気に変わった。

そして手術日がきまり入院し、手術当日。13時からの手術で、前日の夜から飲まず食わず。時間が迫ってきても恐怖心も湧かず、担当の看護師さんにお願いをした。
「手術が終わって戻ってきたら、携帯のカメラで写真を撮っておいてください」
そしてベッドのまま手術室に運ばれ全身麻酔。
深呼吸を17まで数えてたらその後は?!?

後は術後に起こされて部屋に運ばれた。その日は本当に苦しくてつらくて大変だった。傷口の痛みよりも全身が痛い。動いてはいけないがじっとしていられない。そして何度も看護師さんにお世話をかける。

一晩中もがき苦しんで殆ど眠れず、朝方少しまどろんだだけで、後は看護師や医者が入れ替わり立ち代り現れて私に色んな事をしては去っていく。色んな管をはずされてから看護師さんが「さあ、教えたとおりにゆっくり起き上がってください」
教えられたとおりの順序でゆっくりと起き上がるべくやってみた。途中で傷口が引きつり激痛が走り思わず口から「痛いっ!!!!!」
やっとの思いでベッドに座り、一呼吸おいてから立ち上がる。手術の後で足腰に力が入らない。何とか立ち上がり、歩いてみた。
歩ける! ぎこちないが歩ける。
部屋の中をゆっくり歩き回りながら、思わずうれしくなる。
友人や先生が言ったように、手術も低侵襲。翌日には歩ける。ということは回復が早い。
昼頃見舞いに来た知人がびっくりする。
「何でもう起き上がってるの、何で歩いてるの・・・」

知人を誘って喫茶室に行く。すると見舞いに駆けつけた兄弟達と鉢合わせ。喫茶店に入ってくる私を見て「手術はまだか?」昨日予定通りに終わり、さっき起き上がったんだというとみんな唖然とした。
その後も見舞いに来る者みんな私のあまりに元気な姿を見て、「見舞いに来なくても良かったかな・・・」というくらいに元気で回復も順調だった。腕や足の痺れは嘘のようになくなり、散歩も快調。ずっと気になっていた右足親指の爪下の出血。末梢神経の炎症から指先がいつも痺れていて歩きづらかったが、同時に毛細血管から出血していて爪が真っ黒になっていたようだ。今はそれも薄れつつあり、正常な状態へと進行中。何年かぶりにきれいな爪に戻りそうだ。

へたすれば半身不随になるかどうかと言われていたのが、人の縁から辿り辿って名医にたどり着き、画期的な手術を受けることが出来、順調に回復中。
ありがたい。友人達に感謝! 木原先生に感謝!!
沢山の人たちのおかげで「命」をひろった気分。
ありがたい。本当に感謝。
生まれて初めての入院と手術。仕事から3週間以上も離れたのは初めてだし、入院中に仕事はやる事もない。ただただ回復に向けてリハビリしながら、色んな事を考え、今後に向けて誓いも新たにする。
どんなに厳しい環境でも、どんなに苦しくても決してあきらめてはいけない。

絶対に「道」はある。