K-methodを受けた患者さまの声

有限会社三協ハウジング代表者 キングレコード全国吟詠歌謡講師  藤本 正則 様

 私は若年の頃より肩凝り症が激しく、学校の授業中先生に首を動かすな、と注意を受けた事もよくあり、又青年期にはどこの地域に引っ越しても一番先に探すのが整形外科、針医者、マッサージ、薬局等でした。
 中年期以後も頚椎検査を総合病院や地域の専門病院等で幾たびとなく受けていました。
 当時手足の不調や時おりめまいなどあるものの深く考えず理学療法等で何とか生活は出来ていました。
 又知人や近所に手術した人達が術後の後遺症害や失敗例をよく見聞きしていたため、頚椎の手術は出来れば避けたいと思っておりました。
 70歳過ぎた頃よりだんだんと病院通いが激しくなり、大阪の総合病院、専門病院等にて度々の検査をしても頚椎全体の変形症とその上加齢によるもので前縦靭帯骨化症もあり、手術は出来ないと言われていました。
 平成28年3月末頃、朝起きると右手に痺れ感があり、右腕に力が入らずこれは大変と思い、地域の病院にMRを撮って自宅近くの整形の先生に診断を受けると、今回初めて分かったことは、頚椎の中で一番厄介な場所、第一頚椎が脳の一部に入り込む異常があると診断を受け、専門病院でないと処置は出来ないとの結論になりました。
 これは大変と家内が何処かに名医はいないか、必死で知人の情報やインターネット情報でやっと木原俊壱先生にたどり着きました。平成28年4月3日(日曜日)でした。
 4日(月曜日)朝、京都脊椎脊髄外科・眼科病院に電話し、木原俊壱先生に手術をお願いしたい旨を告ました。運よく先生の診察が2日後(水曜日)に予約ができました。
 そして2日後に病院に着くと先ず目に入った事は待合室の一角に「慈心妙手」の書文字の額。私なりに勝手な解釈をし(慈悲の心をもって医術で人を助く)待合室で妻と先生の座右の名言やろかと話し、診察の順番を待っている間、何となく心の落ち着きをおぼえました。長年の卓越した自信と先生の人柄を表す言葉だと思っていたら、診察に呼ばれて診察室へ。
 先生の開口一番、手術以外に助かる道は無いと告知される。
 このままだと突然死か寝たきりと告知、手術もリスクがあり生死を分ける非常に困難な手術になる。その事を良く熟慮し判断してくださいとの診察でした。
 熟慮と言っても今更障害が進んでいる以上「リスクの高い非常に困難な手術」でも、木原先生で治らなければ私の人生も終わりと思い、すべて先生に命預けようと決心しました。
 その後、術前検査と進み、私の持病(解離性大動脈瘤・間質性肺炎・脳血管梗塞)等で大阪の総合病院との意見照合等で前に進まず、待っている間病状がどんどん進み入院一カ月前より右手右足が完全不能になり、家でベットから落ちたら立ち上がれなくなり、先生の告知の通り、寝たきり寸前まで障害が進んでゆきました。
 入院出来た時はもう車椅子でした。
 入院してからも術前検査があり、どうか手術日まで命の火が消えないことを祈るばかりでした。
 手術を受けた私は麻酔で何も分からないものの術後、先生や家内に聴くと予定時間よりはるかに長い時間がかかる困難な手術を先生の命を削り奇跡に導いて下さいました。
 手術後、快復室のベットで約2時間後、完全不能だった右手が、腕が、右足が自力で動いたのです。
 鉛のようにずっしりと重たく冷たい右手、右足に血の通う温もりを感じる事ができて、まさに奇跡の感動をおぼえました。
 快復室で一泊の後、翌日より個室に帰り、その後は心配の他の病の合併症も全く出ず、日々快復して入院後21日間で退院することが出来ました。
 退院後は日々のリハビリを行い右手指も少しずつ力がつき、食事時の箸もだんだんと使え、最近では服のボタン掛けやペンも普通に書け、又しばらく中止していた自転車も車の運転もできるようになり、何といっても趣味の楽器を昔のように弾ける喜びは私の生きてく上での最大の生き甲斐であります。人生の晩年を趣味で楽しんでいる歌の教室も9ヶ月間休講し、平成28年12月より再開する事が出来、会員の皆さんも大変喜んでくれています。
 木原先生の医療術はほんとうに「慈心妙手」の如くであり、世界一の医術者であると確信致しました。
 その後、京都脊椎脊髄・眼科病院を退院後、定期検診で1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月検診と木原俊壱先生に面会検診を受ける度、あなたは当時あと1週間も入院が遅れていたら、今頃は生命の危機で葬儀も済んでいただろうと、笑っていつも言ってくれます。
 私自身も、家内も正にぎりぎりの命の危機を乗り越えた奇跡と思っております。
 木原先生によって救われたこの命。私の体験談を地元大阪や関西で、腰痛や首痛で苦しんでいる方やお世話している方に一人でも多く知って戴きたく思い、ささやかな私の自宅屋上に先生に相談の上(京都脊椎脊髄外科)の広告看板を2カ所掲げさせていただきました。
 私の自宅はJR大阪環状線、JR東西線の駅と隣接の場所で朝、夕の通勤者が多く、誰かの目にとまる事を願い、私から先生に提案しました。私の今までの人生で命を預ける先生に出会い、患者の目線で接してくださる木原先生の慈悲の心に深く深く感謝致しております。
 私に再び生きる喜びを与えてくださった木原俊壱先生、ほんとうに有り難うございました。

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