K-methodを受けた患者さまの声

腰痛との出会い

岸 要 様

 99年4月初旬、かたくりの花を求めて、カメラを肩に福井県今庄の山地を捜し歩いていたときのことでした。急に左腰から臀、腿の筋肉に激痛を感じ歩けなくなりました。少し休むと痛みは治まり、また歩き始めましたがしばらく歩くとまた激痛、こんなことを繰り返しながらやっとの思いで帰宅しました。後から思えば、これが腰痛との最初の出会いでした。それから暫くの間、腰周りの激痛に悩まされ、近所の整形外科医や整骨院に通いましたがあまり回復の兆しはなく、腰痛との辛く長い付き合いが始まりました。
同じ頃、腰痛だった級友のTさんから「大津市民病院の脳神経外科で新進気鋭の名医木原俊壱先生に手術して戴き、短期間で回復してゴルフもできるようになった。岸さんも診てもらわれたら如何ですか。」と勧められ、木原先生の大津市民病院公開市民講座の詳細な資料〔脊椎疾患は万病のもと ピン・ボケ・ネタキリ(PBN)からピン・ピン・コロリ(PPK) へ〕を戴きました。ユニークな含蓄のある人生観から各症状の説明、対処療法が詳しく纏められていました。
当時、私は応化会の名簿管理委員長を担当しておりましたが、98年に発行予定の名簿第5号が、パソコン管理の導入や新郵便番号への変換作業が輻輳し大幅に遅れておりました。また所属しているカトリック教会で火曜日に信仰入門講座を聴講しながら、担当神父様のご指示で聴講者のお世話を少々しておりました。生憎、木原先生の診察日が火曜日に限られていましたので、教会の信仰入門講座を休んで大津市民病院に行く決心もつかないまま、徒に年月を過ごしていました。
それから数年以上も過ぎた07年夏頃から妻が右腕の激痛を訴えるようになりました。近所の整形外科医院に参りましたが原因が判らず、偶然大津市民病院を紹介されました。
大津市民病院なら、ぜひ木原先生に診察をと早速申し込み10月中旬の初診の日に、例の〔脊椎疾患は万病のもと-・・・-〕のコピーを持参いたしましたら木原先生は大変懐かしそうにご覧になりました。妻の右腕の激痛の原因は頚椎狭窄症と診断されて、その後入院手術、無事に退院いたしました。
これを機縁に、私も診察を受けました。
「腰も悪いが主な原因は頚椎狭窄症」の診断で私も入院手術、無事に退院、順調に回復しました。今も足腰に力が入らない、走りや跳躍ができない、重い物が持てないなど多少の不自由はありますが、激しい痛みは軽減しました。
これらの経緯は私たち専25・大27年卒クラス会便り第54号・56号でも述べました。知人らの人伝で、木原先生を紹介してほしいと希望が相次ぎ、立命館大学の同窓、三洋化成工業時代の同僚、その他の知人ら数名が木原先生にお世話になりました。皆さん、手術後の回復は順調で感謝されています。
毎朝、足腰の運動のため山科びわこ疎水を歩いています。同様に歩いている仲間に京都二中同期の友人がいます。彼も足腰を患い、地元の病院に通いながらリハビリ目的で疎水を歩き始めたのでした。今年正月以来姿を見せなくなりましたので4月初旬電話で尋ねました。「主治医に、寒い季節には歩くのが辛いと言ったら、寒い間は歩くのを止めなさいと言われて正月から歩くのを止めた。3月になって、そろそろ歩き始めようと思ったら、殆ど歩けなくなっていて、今は数十歩歩くのがやっとだ。」とのことでした。
級友で応化会幹事のUさん、腰痛で昨年10月に地元の病院で手術されました。年末に退院されて以来自宅療養中です。手術後も痛みが激しくて歩行も不自由で、痛み止めのブロック注射のために毎週1回通院しているとのことです。(5月現在の状況)
一口に腰痛と言っても、その原因も症状も人によって千差万別で、一概に比較して考えることはできませんが、腰痛の手術は世間ではまだまだリスクの大きい医療のようです。
思えば、Tさんに勧められてから数年も経過して、自分の積極的な意思でもなく自然の成り行きで、木原先生の手術を受けることができたのはまことに奇縁で幸運でした。木原先生の診察を断念してまで勤めていた、応化会名簿管理員長のお役目は、西暦2000年の記念すべき節目に2000年版を、また印刷版としては最後の名簿2003年版を発行して無事に終えることができました。カトリック教会信仰入門講座の聴講では多くの人々と出会い、信頼する知友に恵まれたことを感謝しています。