大阪府在住 田中 千景 様
1日中手術をされて大変なのに、毎朝病棟にいらして「おはようございます」という、木原先生の声で1日がはじまりました。
1年ほど前から、少しずつ体が思うように動かせなくなりました。
よその病院で頚椎の手術をし、寝たきりになった家族の方の話を聴き、手術を受ける事を躊躇しておりました。
症状①
40代にもかかわらず、物をよく落とし、ちょっとした段差につまずくようになりました。この時は、不注意かなぐらいで、気にも留めていませんでした。
症状②
背中の皮が引き裂かれるような痛みと、体の中から湧き出るような痛みが右の外側から出始めました。その為、週3回接骨院やアロママッサージに通っておりました。
マッサージをしたその日は、少し体が楽になったように感じましたが、又すぐに体が痛くなり、息をするのも苦しいと感じるようになりました。
症状③
次に体全体が毎日、ひきつるようになってきたので、もしかして私、リウマチか脳梗塞の手前なのかなと考えるようになってきました。
症状④
ある日突然、ふわふわの葉っぱの上を歩いているような感じになり、右足だけが歩いている事や地面に足がついている感覚がなくなってきました。
この頃から、叫ぶような痛みで夜も眠れなく、とても不安になり、近くの病院に行き、痛みをとる薬(リリカ・トラムセット)、体がつらないお薬、睡眠薬を処方してもらいました。
又、近くの病院で首を引っ張ると、目まいと吐き気がしました。
痛みを取る薬を飲むと、思っている言葉が口からでなくなり、少しろれつが回らなくなってきました。
この時、初めて自分の体がおかしくなっている事に気づき、体が思うように動かせなくなっていく事に、とても不安で怖かった時期でした。
木原先生の事は、テレビを見たことがきっかけで、診察の予約を取りました。
診察をしていただく中で、MRやCTはもちろん大切ですが、木原先生が画像を見て、「これは痛かったね」と言ってくれた言葉でほっとしたことを思い出します。又、先生に首を引っ張ったりすると、良くなりますかと尋ねると、「良くなることはありませんよ」と言われました。
私は、子供を育てなくてはいけません。体が痛いからと言って会社を休む事も出来ませんでした。会社では、スタッフ皆に沢山の迷惑をかけていましたので、すぐに手術を希望しました。
手術までは、とにかく風邪をひかないようにだけ気を付けました。
よその病院では、手術前と後には沢山の点滴をするそうですが、京都脊椎脊髄外科・眼科病院での手術当日は、朝から4時間ほどの点滴をしただけでした。
手術を受け、目が覚めた時には、病室のベッドで寝ていました。
手術を受けた当日は、安静にしていました。翌日からは、運動の指導があり、「えーっ、もう運動するの」とビックリしたことを思い出します。少しずつですが、運動をしたおかげで、入院中は患者ではなく、付き添と間違えられるほど元気になりました。又、翌日からは、おかゆを摂る事ができました。私は、病院食が体にいい事はわかっているのですが、どうしても食べられませんでした。先生は、「体力をつける事が大切だから、栄養があるもので好きな物を食べていいですよ」と言ってくれました。3日目ぐらいから、近くのスーパーにリハビリのつもりで、毎日歩いて食事を買いに行きました。お風呂にも、好きな入浴剤を入れたり、アロマをたいたり、1日3回(朝昼晩)と入浴もでき、快適な入院生活がおくれました。
手術前は、枕をして寝ると首が痛くなり、使うことができませんでした。手術後、病院で使っていた「ケイ・ピロー」枕で寝るととてもよく眠れ、睡眠の質が上がったことに気づきました。手術をして頚椎(3番・4番・5番・6番)が治ったのもありますが、とにかく、熟睡できるようになりました。ケイ・ピロー枕は、今後の首の予防の為に、一生離せない枕となりました。
よく病院ですぐに手術を進める病院は駄目だと言いますが、私自身、長い間叫ぶような痛みに苦しみました。木原先生と出会い手術をしていただき、痛みから解放され、体の自由を手にすることができました。こんなに人生が変わるのであれば、悩まずもっと早く手術を受ければよかったと思いました。又、入院前は手術料金が高いのではないかと不安にもなりましたが、看護師さんから、頚椎の手術は健康保険診療で高額療養費制度(収入金額によって払う治療費)がある事も親切におしえてくれました。OLをしている私には、安心をして治療を受けることができました。
最後になりますが、入院中は木原先生、看護師さん、部屋を掃除して下さったスタッフの皆さんの声掛けでとても心が癒されました。本当に有り難うございました。