K-methodを受けた患者さまの声

京都市在住
岸 要

 大津市民病院で、長年悩んでいた腰痛の主な原因は頚椎狭窄症と診断され、4月2日に手術を受けました。頚椎手術といえば世間では大変リスクが大きいと思われているようで、掛かりつけの整形外科の先生からも手術は慎重に考えるよう助言を戴きました。
大津市民病院の脳神経外科の木原俊壱先生は国際的にも有名な名医であり、昨年11月には妻が同じ頚椎の手術をして戴いていますので、私は何のためらいもありませんでした。
手術に先立って、先生から手術の説明や心構えなどお話がありました。「先生、私は若い頃北京で赤痢に罹り2週間伝染病院に入院した経験はありますが、手術をしたことはありません。一生に1回くらい経験しても良いかなあーと思っています」と申しましたところ、先生は笑いながら「そう言って貰えば、私も気が軽くなります。」と。何気ない冗談のやり取りの中にも、手術に対する先生の並々ならぬご苦労、緊張感が偲ばれました。
予め入院中の目標を設定しました。①痛み止め、睡眠剤など治癒効果に関係ない薬は使わない。②病院食以外は食べない。③新聞・テレビは見ない。④入院は誰にも言わず、見舞いは受けない。⑤夜中は極力看護師を呼ばない(手術後一両日は寝返りするにも看護師の助けが必要なのです)。こんな単純な目標でも、浮世のしがらみと言うかいろいろありまして、クリアするのは結構難しいものです。見舞いに来た中学2年生の孫が「僕、おじいちゃんと一緒に食べようと思ってケーキを焼いてきた。」と。テレビを見たいとテレビ視聴用の千円のカードを買ってくる。友情厚い友人は知らせなくても探し当てて見舞いに来てくれる。などなど、毎日毎日が目標をクリアできるかどうか、結構スリルがあって楽しく過ごしました。
4月2日午前9時過ぎ、手術室のベッドで仰向けに寝た顔面に近づいた美しい女性の顔。麻酔医の先生かなあー、看護師さんかなあー?と考える間もなく何も判らなくなり、気がついたのは、「はーい、終わりましたよ!」と担当医の先生に声を掛けられた病室のベッドの上でした。生涯初めての経験にしては、なんとも拍子抜けしたような思いでした。
とは言っても、頚椎4個を切り開き人工骨を挿入する大手術です。首を固定する保護カラーを装着し、手術当日と翌日まではベッド上で安静にしているのですが、独りでは寝返りもできません。不思議に手術した首の痛みはありませんでしたが、腰が痛み、左腕が挙がらなくなりました。入院中の目標①痛み止め、睡眠剤は使わない。⑤極力看護師を呼ばない。この目標成就のため、じっと仰向けに寝たまま寝返りもせず痛みに耐えていました。身体を拭きに来てくださった看護師さんが「あらー、背中にパジャマのしわ痕がついていますよー!」と大笑い。
首には保護カラーを装着し、左腕は挙がらず不自由な身体でしたが、入院診療計画書通りに、第2日目から歩行練習のために病室内をぐるぐると歩き回りました。最初1700歩、3、4、5日目と次第に歩数を増やし、8日目からは2万歩以上、ひたすらにぐるぐる歩き回っていると、動物園の熊や虎が檻の中を右へ左へ行き来して歩き回っている気持ちがホントよく判りました。担当医の先生「手術の箇所は綺麗に回復しています。これで百歳まで大丈夫です。」私「百歳までだと、たった23年しかありません!」先生「ああ、それなら10年延ばしましょう。」と大笑い。こうして名医の先生から寿命百十歳のお墨付きを戴いて予定通り退院いたしました。
大津市民病院を訪ねて最初に感じたのは、病院特有の匂いがなくて清潔で明るい雰囲気でした。入院中も患者に対する気配りや思いやりが所々に感じられ、快い病院生活を送ることができました。1例が食事、入院中魚の料理は何度もありましたが、小骨1本も見つけたことはありませんでした。4月8日の花祭り頃だったと思います。ちらし寿司にてんぷらのご馳走に、芭蕉だったか誰か有名な俳人の詠んだ一句をしたためた花びら型の栞が一葉添えられておりました。
ふと思い出したのが、1963年12月、中国北京に滞在中に赤痢に罹り伝染病院に入院した2週間、13日に診察に訪れた女医さんに「今日は私の誕生日です」と呟いたら、夕食に大きなバースデイケーキが添えられてきました。国を問わず気配りや思いやりの尊さ、忘れえぬ記憶です。