木原先生へ”奇跡の快復”にお礼と感謝を込めて
オーシャン貿易株式会社 社長 米田多智夫 様
さて、小生40年近く京都で貿易会社の社長を務め世界中を駆け巡り珍しい商品や新しい商材を開発輸入する事が主な仕事であります。
2年前からベトナムのダラット(標高1,000m余の熱帯高冷地)で子会社の現地法人による大型農場の建設中、昨年9月13日頚椎損傷という不慮の大事故に遭い、帰国までの2週間余りホーチミンの病院(この病院まで救急車で8時間)で、頭部を除く全身麻痺、勿論四肢は全く動かず、上手くいって余生車椅子の生活とも宣告されましたが、 関係者の粘り強い交渉の結果、脳神経外科では”神の手”と云われている日本一の木原俊壱医師、普通ではこの先生に執刀してもらうには2~3年かかるのが常であるようです。更に、この病院で今まで受診したことの無い外国での怪我人、日本までの移送のリスク等を考えると、医局でも猛反発があったようです。
しかし、思いがけない運命の出会いと先生の”1日も早い手術によりどんどん死んでいく細胞”を助けることが医師としての当然の使命であるとの一言によって引き受けて頂けたのは丁度事故から10日後のことでした。それから、航空機のチャーター、添乗医師、看護師の手配を終え、9月28日朝関空到着、直ちに、ランプサイドに横付けされた救急車で一路、大津市民病院へ。
精密検査の後、9月30日、4時間に余る手術も無事終了し、僅か3cmの切開部から頚椎6箇所と最上部の胸椎まで延べ20cm余りの患部に人工骨を挿入、木原マジックの見事な手術のお蔭で 、2週間余りまったく動かなかった手足が動き始めました。正に”奇跡の瞬間”でありました。
先生の鋭敏な執刀と面識の無いリスクの高い外国での怪我人を受け入れて頂いただいた医師としての強い倫理感のお陰と感謝しております。
12月8日朝無事退院、早速、その日の午後3ヶ月振りに出社、社員もあまりにも早い回復振りにびっくり。
この種の事故は日本の冬場は特に厳しいため、3月初めから再度仕事と療養を兼ね温暖なベトナムへ、4月始め暖かくなり始めた日本に戻って参りました。
早速6ヶ月検診を受け、先生からレントゲンの結果も何ら問題無いとの太鼓判を頂きました。病院での待ち時間を利用して2ヶ月余りお世話になった病棟に行くと、どの看護師さんも小生の歩行に仰天(当初は誰もが歩けるようになるとは思っていなかったようです)。あと、数ヶ月で元通り、車の運転、ジョギング、自転車等に乗れる様、今リハビリに励んでいます。
今、もし先生に執刀して頂けなかったら”と考えると、人間の運命の尊さを痛感し、先生の偉大なゴッドハンドが小生の体をこんなに早く元の健康な状態までに回復して頂いた事に関し感謝とお礼の気持で一杯、この気持ちは決して筆舌に尽くせる物ではございません。 本当に有難う御座いました。
最後に先生の御健勝とこの種の病気で困っておられる世界中の多くの方々の治療に専念されん事を祈っています。