K-methodを受けた患者さまの声

株式会社ディーシー・クリエイト 代表取締役 櫛田 章博 様

 私は不動産と建設に関わる会社の社長をしておりますゴルフ好きの52歳です。
 仕事柄顧客の方々とゴルフをする機会もあり、会社のコンペも協力会社様を招いて年に数回開催し、私自身も参加して、時には主催者であるにもかかわらず、優勝し賞品もいただいたりするくらい好きなのですが、8年ほど前から手のしびれなど、少し体に異変を感じ始め、ゴルフ中も何か違和感があり、楽しくゴルフが出来なくなったのを覚えております。  
 会社の代表を務めていることもあり、何か突然あっては社員とその家族、お客様にご迷惑をかけてはと体には特に気を付け、異変を感じればすぐに病院へ行き、チェックを怠りません。
 そんな中とある病院で検査をしていただいた時のこと、「あなたの病名は後縦靭帯骨化症です」と言われました。初めて聞く病名であったので詳しく聞くと、首の脊柱管の中にある靭帯が骨化してその骨化により脊髄を圧迫する、国の難病指定疾患です」と言われました。病名は初めて聞くので戸惑いましたが、これはもし何かの拍子で、首に負担がかかり脊柱管を圧迫すれば、当然脊髄損傷で四肢麻痺になることは医者でない自分にも容易に判断がつきました。
 ただ今すぐにどうこうという体の状態でもないし、首の手術なんて怖いし、その手術したことにより脊髄損傷なんてのも避けたいし、医師からも様子を見ましょうと促され、今思えばこれが保存療法で医師自身もリスクを抱えたくないという回答であったと思いました。
 しかしそうこうして数年過ぎ、ますます手のしびれが悪化し、しびれから痛みを生じるようになりました。それに加え時に足がもつれ転ぶといったことまでおこるようになりました。このようなことがきっかけで動けない体になってはと思い、それからというもの、どれだけいろいろな病院をまわったことでしょう。もう数がわからないくらい診てもらいに行きました。
 ある医師は保存療法、ある医師は手術を、といろいろ意見がわかれ、しかしどの病院のどの医師も自分が納得いく回答が得られず悩んだまままた数年が経過しました。
 そんな時、弊社社員勧めもありの営業先の紹介で大型病院での特別チーム結成にて手術をする運びとなりました。なんて運のいいことだと神様に感謝しました。
 手術の日程も整い、もう大丈夫と思うのが普通なのでしょう。それなのにどこか腑に落ちないのが自分でもわからず、しかし刻々と決行日が近づいてきました。
 実はお恥ずかしながら決行日を先送りしてしまったのです。
 なんだか敵前逃亡したみたいで、しかし恥ずかしいので、仕事にかこつけました。
 そして次なる日程調整は一ヶ月後でありました。先送りしただけで、何も変わらないじゃないかと、自暴自棄に陥りましたが、今度ばかりは又先送りなんてことは・・・。
 そんな時私は東京で仕事を終え、飲食店でカラオケを楽しみながら会食をしておりましたら、隣のテーブルで何やらおかしな歌を歌っている方を拝見しました。
 歌のタイトルはわかりませんが、歌詞はほとんどが骨に関する歌詞で、骨、骨、骨と楽しそうに歌っていました。
 不思議なので店の方にあの方変わった歌を歌う方ですねと聞くと、「実はあの方●●大学病院の整形外科の●●部長でいつもこの歌を歌うんですよ」と聞かされました。
 これはと思い紹介を頂き、悩みを相談しました。するとその教授は「首の手術なんて簡単にするもんじゃないよ。今どれだけ術後に問題があり、訴訟を抱えているか知っていますか?」と。「私の紹介で●●大学病院へ行って診察してもらってください。」と言われ、すぐさま診てもらいに行きました。
 その回答は「手術した方が・・・。」もうわけがわからなくなりました。
 うなだれて会社へもどり新聞を読んでいると、そこに『首の病気は手術で治す』のタイトルの本の広告を見つけました。
 すぐに本を購入し読み始めると、なにか今まで違和感を抱いていたいろいろな医師・書籍とは違い、読んでいくうちにどんどん引き込まれていったのです。
 何度読んでも納得できることばかりでした。
 いてもたってもいられず、その本の中で体験談を書いていらっしゃる方へすぐに電話連絡をしましたがご不在で、折り返しお電話を頂けると秘書の方から告げられました。
 かなり立派に事業をしてらっしゃる方なので居留守だったのかな、と思いきやその日のうちにご本人から電話を頂き、体験談を直接聞きたいのでとアポイントをお願いしたところ快くいただくことが出来ました。
 本来ならすぐにその病院へ行けばよいのですが、実際手術をされた方の方が本当の答えが見えると思いました。お話しを聞き終えもう決断が出来ました。首の病気はこの病院でこの先生で治す。と。
 そして前に予約をしておりました病院での手術をキャンセルし、本当に自分が納得して信頼できる病院とその先生に執刀いただく運びとなったのです。
 当然怖くないと言ったらうそになりますが、でも決断しました。術後に元気に仕事に、ゴルフにと想像したら、その憂いない術後生活の楽しみの方が断然上回っておりましたので迷うことなく、仕事の段取り等を調整しました。
 余談ですが、この決断をする前に、実は役員にもこの本を読んでくれと頼みました。今までも手術の方法、ここで手術をと相談してきましたが、役員曰く「体のことなので参考意見としては述べますが、決断するのは社長本人でしかないのです。」と。あたりまえの回答でしょう。聞かれた本人たちが答えをだし、手術を勧めて、もし何かあったら、どちらも悔やまれることになるでしょう。しかしどうでしょう。役員の口から思わぬ言葉が・・・。
 これまで決断はご自身でと、何かはっきりしない回答だったのが「社長これはこの先生にまかせては」、と。自分の耳を疑いました。しかしはっきりと「やりましょう。木原ドクターにお願いしましょう。」と。
 読んだ感想は同じでした。木原ドクターの考え方と手術方法と使用人工骨の強度、そして術後の生活、どれをとっても納得のいくものだったのです。こんなことも後押しとなり決断することが出来ました。
 きっとこの本を購入し、私のこの体験談を読んでいるそのあなた様もきっと今同じことを思い読んでいただいていると思います。
 さて手術当日、その時間がやってまいりました。大変な作業が今から繰り広げられるのだろうと考えながらいざ手術室へ。
 数分の記憶があるくらいで気づけばもう手術は終わり「無事おわりましたからねー」と木原ドクターらの声。当然手術自体は大変な技術を携えてのたいそうなことなのでしょうが、患者の私自身、あっという間の出来事でした。
 時間を見れば九時ちょうどに手術室に入り、退室したのが十一時半のわずか二時間半。たったこれだけで私の人生の分岐点を過ぎて行ったかと思うと、今まで考え悩み続けた時間はいったいなんだったのだろうと少し笑いもこみあげてきました。
 しかしながらこの悩んだ時間がなければ、もし先に予約していたところで、手術を済ましていたら、木原ドクターにはめぐり逢えなかったと思うと、無駄ではなく必然的にここにたどり着いたと、本当に神様に感謝しております。
 そして術後2日目。熟読しきった本の通り、痛みは多少あるものの、普通に歩くことが出来るではないか。病室を出て院外に出て散歩をすることが出来るのです。そして約一週間。役員従業員が名古屋から京都にあるこの病院へ見舞に。私も京都で暫く仕事もしておりましたので、京都の界隈はある程度網羅しておりましたので、役員従業員を引き連れお寺巡り、夜の京都に出歩いたりしておりました。誰もが憧れるきょうとです。役員従業員も私が元気に普通にしていたのを確認できたせいか、見舞いというよりは旅行気分で見舞いに来ている感じに見え、反対にそれがとてもうれしく、すごく貴重な時間を過ごさせていただいているなーと心の底から思えました。
 術後2週間もすると、人懐っこい性格のせいか、木原ドクターの懐の大きさなのか、お友達のように話せるようになり、この素晴らしい技術をもっと継承していかなければと意気投合しました。今現在こんなに素晴らしい手術をできる方が木原ドクターしかいないというのがとても残念です。
 人は本当にいいものは人には教えないものです。本当においしい隠れ家的レストラン、希少価値の高いアクセサリーを扱うショップ等・・・。
 しかしこの病院・ドクター・手術方法を何としてでも世にしらしめたいです。普通の考え方の持ち主であれば必ずそう思っていただけることです。体験談を書かれた方々も同じ考えからだと確信できます。
 私のようにたまたま出会えたのであればよいが、多くの方が悩んで苦しむ方もいれば、術後満足できるような生活が出来ない方もいると思います。
 他の手術方法が決して悪いものとはおもいたくないですが、少なくともいま私は、木原ドクターで良かったと思っています。
 医療業界でない私が意見を述べるのは、僭越ですが、どうか学閥・派閥・医局・医師会の目を恐れず、私利私欲を一瞬忘れ、本当の医療とはと考えていただければ、この木原ドクターのなさっていただいています事は簡単に理解していただけると信じています。どうか医師免許をお持ちでいらっしゃるこの本を読んでいただいていますあなた様に是非木原ドクターの門をたたいていただきたいと思います。