K-methodを受けた患者さまの声

- ひと夏ひと冬越せて思うこと -

(財) 海外邦人医療基金 専務理事 別所誠一

1.一年経って感激
ひと夏越す、ひと冬越す、という表現がある。これはその昔、エアコンや暖房設備や抗生物質が充分に無い時代に病人や老人が心の底から思い、祈った事であろう。
私は33年間勤めた企業を離れ現在の職場へ移り、丁度1年経った。ひと夏とひと冬越せたことになる。それまでも部署の移動や海外への転勤もあり職場環境や生活環境はその都度変わったわけであるが、今回56歳でこの1年を何とかやり過ごせたのは、私にとっては画期的な出来事であった。それは昨年2月に変形性頚椎症の手術をしてその後、社会生活にも何とか復帰でき、新しい職場でひと夏とひと冬越せた有り難い体験をした事である。
手術をするまでは会社中心の生活を送り自分自身や家族、ましてや周りの人や世間の事を考えるゆとりが無かったが、初めての入院やその後の静養生活でそのあたりを若干なりとも考える、という心境になった。

2.手術決意までの経緯
首は脊椎と神経根の狭窄がかなり進んでおり木原先生からは『医学的には早急に手術をすることを薦めるが、自分の人生や仕事との兼ね合いで決めて下さい』と言われた。
これは突き放された様な気もして難しい問題であった。ほとんどの勤め人は毎日仕事場へ行って給料が貰える訳であり、手術が上手く行ったとしてもその後のリカバリーの期間を考えると簡単には思い切れないものである。
まして症状は直ぐに命とは関係が無く、セカンドオピニオンを求めた数名の専門医や病院の半分以上からは首の神経はデリケートゆえに手術は薦められなかったので、尚の事悩んだ。原因は学生時代の運動の後遺症とその後の加齢によるものと判りながら、この35年間、マッサージ、カイロ、牽引、鍼などの対処療法を続けそれなりに効果はあったが、根本的、構造的な問題は解決できずにきたわけである。
脊椎は“全体的かつ長期的”視野に立って治すべきもの、と頭では理解できても実生活を考えると中々踏み切れず手術前の半年程は躊躇した。幸いにも親しいお医者さんに謂わばGPになってもらい、色々な病院での診断を全て見せて相談に乗って頂き、選択肢を狭めていけたのも大変ありがたかった。
そういう中で最終的に手術へと後押ししてくれたのは“痛み”であった。手術前、半年ほどは首と右肩と腕が夜も昼も痛くて眠れない状態が続いた。それをコルチゾン(痛みを抑えるホルモン剤)や神経ブロック(注射)で押さえ、暫くすると又振り返すと言う事が繰り返した。
そして最後には謂わば『今ならば赤穂浪士の身代わりに』、とその痛みに耐え切れずに手術を決心したのであった。
ところで、ヨーロッパの観光地にはところどころに拷問博物館があったり、古いお城の中で展示されている場合もあるが、その中には昔使われた牢獄や責具などが置いてあり、ちょっと異様な感じがしたことがある。やはり痛みや苦しみというのは人間を動かす最後であり最大の要素であり、これは歴史や人生の中で公平に位置づけ、正しく評価するべきものだ、と自分の苦痛の経験から思いをめぐらせるのである。
さて木原先生の事前説明では手術に関して頚骨の模型を見せられ丁寧に何度も説明を受けそれなりに頷いて聞いていたが、実際のところは素人がそんなにわかるわけでもなく、今の痛みから逃れたいので『要はお任せしますので助けて下さい』との気持ちでお願いした。
手術自体は木原先生の優れた技術と医療チームのお陰で奇跡的に35年間悩んだ痛みも痺れや凝りが嘘のように無くなった。24時間後には起き上がれたのでトイレや床ずれの心配も全く無かった。
『手術は成功したが患者は死んだ』と言う言葉もあるが、“低侵襲”(こんな言葉もこの時初めて知ったが要するに木原先生が独自に考案された切開部分を極小化する方法で、頚骨4つ「C3-C6」を切り開き人工骨を入れたのであるが、メスを入れたのは首の後部3センチ弱であった)で出血も鼻血程度で本当に“patient friendly”な手術であった。

3.感謝
そんなわけで今こうして手術後、ひと夏とひと冬を越し、首にはなんらの苦痛も感ぜずに、快適に新幹線の中で、素晴らしい性能のデジタル機器を使い、こんな駄文を書けるのも、すべては世の中の進歩と周りの人々のお陰で、本当に勿体無くありがたい事である。また、物事には適当な機というものがあり、丁度その時期に、その木原先生に手術して貰えた事は、最良のタイミングとめぐり合わせであったのだと、感慨深い思いである。
とにかく、痛みから解放され、何とかひと夏とひと冬越せた事に感謝する。