大阪府和泉市在住 西 悌作 様
(一)発症と経緯
12~3年前、丁度70歳の頃、両手の指先に痺れや浮腫が出て来ました。病院で診て貰ったところ脊髄変性症という診断でした。
当時は日常の所作、運動等さしたる不自由はなかったのですが、その後少しずつ病状が進行し、約一年半前に急速に悪化し、両手の機能低下と右足の歩行能力に支障を来すに至りました。
そこで本格的に治療をすべく総合病院を訪ねました。その時、テレビで木原先生がお話をされていらっしゃる姿を隅々目にし、京都木原病院にお世話になると決めました。
念願叶って診察をしていただいてから約一年後の今年2月15日に入院し、17日に手術をしていただきました。
(二)病院での出会いと勉強させていただいた事
入院当日、担当の看護師さんが手術に際しての準備その他を丁寧にお話しくださり、不安を取り除いてくれました。
「何も心配しなくていいですよ。ベッドに横たわり、目が覚めたらもう手術が終わっていますよ。」
「この言葉が非常に有難かったです。」
無事手術を終えた後の十数時間は、少ししんどいなと強く思いました。その後、病室に戻ったときは、まだ朦朧とした状態でした。
その時、担当の看護師さんから「みんな同じですから、何も気を遣わずに何でも言ってくださいね。」と声を掛けられました。
「この一言に本当に救われました。天使が舞い降りて来た感じです。」
日を追って順調に回復し、5日程経った時、看護師長さんに「明日、会社の人が来てくれるのです。」と話した所、「それなら少しでも元気なところを見せましょう。昼から3時まで時間を取りますから、一緒に歩いてみましょう。」と元気になるように、一歩も二歩も先んじて踏み込んだ心遣いをいただいたこと、とても有難かったです。
看護部長さんに退院後のことを相談しましたところ、快く応じてくださり、私の地元の病院への紹介状まで作ってくださいました。
私は今83歳です。これまでに種々の医療機関で採血を受けましたが、当病院の採血技術は最高でした。手際が良く、殆んど痛みを感じませんでした。
会計係のお嬢さんは、退院の際、手元が不自由な私を見兼ね、忙しい中わざわざ私の元に来てくださり、お釣りを手渡して下さいました。その優しさに心打たれました。
「孫娘、頑張れ!!」
術後15日、やっとソフトカラーを外すことが出来、東寺の前からタクシーに乗りました。その時の運転手さんが木原先生を知っていらして、「あの先生は素晴らしい!手術の腕は勿論の事、手術に使う機械や器具まで、ご自分で開発されるんやで」とまるで自分の事のように得意気に教えてくれました。
(まとめ)
スタッフの方々から、院長先生は「常日頃、こう仰っていらっしゃる」と伺いました。
『当院にお迎えした患者さんは、自分の身内と思ってお世話をしてください。』
この言葉がすべてを現しています。
スタッフ一同の院長先生への敬愛と信頼、患者さんへの優しい目線。各々が役割と責任を全うする強い意志、常に明るい笑顔での応接等々、緊張感を伴う現場であるのに、ある種ゆとりさえ感じられました。
約3週間、素晴らしい出会いとたくさんの感動を戴きました。
本当に有難うございました。
心からお礼を申し上げます。