K-methodを受けた患者さまの声

株式会社朝日テック 代表取締役  池田 修 様

拝啓
木原俊壱先生
京都木原病院の皆様

令和3年、あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

私が京都木原病院で後縦靭帯骨化症という難病の手術を受けさせて頂いて、お陰様で4年目の正月を元気に迎えることが出来ました。一日も早くお礼を文章にしなければ、と言葉を探しながら、4年目の正月を迎えてしまいました。
あらためまして、手術に関わってくださいました木原先生はじめ皆様に深くお礼申し上げます。ありがとうございました。

私は近年「生かされた命」をより意識するようになりました。
妻の智子と私は命を『生きた神様』に2度も救われた幸運者です。最初に出会った生きた神様は栗林保利先生です。
栗林先生は京都市内で「京の酵素浴」という施設を開業しておられ、独自の研究により開発した酵素浴によって50数年以上もの間、訪れた末期癌などの不治の病で苦しむ方々を治し、勇気と希望を与えしかも社会復帰させておられます。
智子は末期の乳癌を25年程前に、また私は10年程前に直腸癌を完治して頂きました。一度も病院に行くこともなく、酵素浴のみで2人とも命を救われました。
栗林先生は感謝の言葉に対していつも、「私の先生は大自然です、結果が証明してくださいます」「差別はしませんが区別をします」と神様の眼でにこやかに話してくださいます。まさに、生きた神様のみ言葉です。

そして、この栗林先生のご紹介でお会いした方がもう一人の「生きた神様」である木原俊壱先生です。
ある日、栗林先生が今夜はスーパードクターが来られるからと夕食に誘って頂きまして、お会い致しました。木原先生は会席での私との会話から、私の頸椎の状態を判断され、翌日にMRI診察の手続きをしてくださいました。
当初は智子を診て頂く予定であったので二人で診察を受け、その診察の結果は私の方が重症で、病名は「後縦靭帯骨化症」という耳慣れない病名でした。正直なところ私は実感がないまま、木原先生のすすめで長崎市役所に「難病指定」の手続きをしましたところ、数日後に「難病指定証明書」を受け、改めて事の重大さを知りました。
栗林先生のお言葉もありまして、木原先生には幸運にも早急な手術の日取りを決めて頂き、平成31年6月26日に手術を受けることが出来ました。私は入院の経験もなく、始めての手術でしたので、智子も病室に泊まる長期戦の覚悟で迎えた手術でした。
手術は、木原先生はじめ手術に関わった皆様お陰で成功し、手術後の2日目(6月27日)には散歩してくださいと勧められ、驚いたことを思い出します。
頸椎を4か所切断開口した後に、K-Spacerで固定する大手術でありながら、僅か2.5-3mmの切開の為に、輸血も必要としない、まさにスーパードクターの木原先生が開発したK-Methodが「奇跡の手術である」ことを体験致しました。数時間の術後に麻酔が切れても痛みもない人生初の手術でした。手術がこんなに楽なものかと思いこんでおります。 入院中に落ち着いたらと、準備していた海洋環境関連の書物も読むことができ、21日間の入院生活は楽しく過ごすことが出来ました。朝昼晩の食事がおいしいこと。退院の日には長崎に帰りたくない気分で迎えた次第でした。
入院中、毎朝声をかけて下さっていたある日、木原先生に話して頂きましたが、“私の手術は非常に難しく、専門医が手術したくない症状であった”こと。そして、“あと2ミリしか残っていない症状の手術は、例えるならば、「火事に取り残された子供を救いに行く心境」であった”と、先生の心境を話してくださいました。全身不随による人生を救われた「生かされた命」を再度実感した瞬間でした。
「生きた神様のみ言葉」としか思えません。
こうして目に見えぬ神様の計らいで出会いました「生きた二人の神様」への恩返しは、あたり年である丑の71歳の「生かされた命」を大切に使わせていただくことを心の奥深く刻んでおります。木原先生と入院中に約束致しました、日米合作による画期的な人工礁による藻場造成技術で『海洋牧場開拓』に邁進することは手術後退院の日から実践しております。木原先生へは立派なご報告ができますように頑張っておりますので、楽しみしてください。

命を救って頂きながら木原先生はじめ病院の関係者の皆様への感謝の言葉をお伝えしようと思いながら、文章にするのに4年もかかりました。失礼極まりない者ですが、救われた命を「為に生かす覚悟」であることを信じて頂きまして、勝手ながらお許しを請うしだいでございます。

末尾になりましたが、皆様のご健勝と京都木原病院の益々のご発展をお祈り致します。

敬具
令和3年 元旦 長崎にて

20210105